薔薇色の脚(特装版サイズ)覚え書き
魅力的な脚とうち捨てられたかのように見向きもされない上半身という表現を人形としての可愛らしさを手放さずに表現している。
手が無いバージョンのほうが全体のバランスが良いように思うが、大元の物語のコンセプトを考えると手があるほうが正しい。
このようなものを見ると作品としての良さと、それはそれとして人形らしさが強いほうが自宅置きしやすいという「買われるのを前提とした作品」のジレンマを感じる。あくまでも見る側の都合で作る側はそれをどう受け止めているのかは知るよしもないが。
手が無い子のほうが表情や色味の枯れ感が薄いのは手が無いことで枯れ要素を満たしているからなのか、別の意図があるからなのか?
飢えた少女のような上半身と逞しい筋肉のついた大人の脚を破綻せずに組み合わせられる中川多理さんの未曾有の造形センスに驚嘆せずにはいられない不思議な作品群である。
手が無いほうがバランス良く見えると感じたのは上半身の造形をもとにした長い手が下半身まで伸びているため、たとえ脅威的なバランスで上手くいく造形であってもどこかアンバランスさを意識させてしまうからなのだろう。
大きく丸い腹部球が上半身と下半身の境目のバランスをうまくとっている装置として働いているのだろうが、原理的にそうなるのだろうと思いつつも実際にそれが何故出来ているのか不思議でならないし、他の作家に同じことが出来るのかもわからない。