なぜ関節を球体にするのか
前回の人形の動きと身体表現の続きである。
なぜ人形の関節を球体にするのか?
モノコック構造であるから自重が減り、ボルトのように負荷が集中することもなく、内部骨格のように外殻との運動軌道の差を考慮する面倒も無くせる。
一つにはこういった技術的、実用的な扱いやすさがある。
これこそ本題であるが、もう一つは審美性の面である。
球体関節は可動関節と筋肉描写とのバランスをとるのに非常に役立つ。
唐突だが子供騙しの手品で親指が離れるマジックをご存知だろう。
あれは人間が半ば覆い隠されたものを自動的に補正で連続性のあるものと認識する認知機能に依存している。
球体関節も同じ認知機能を利用した表現なのである。
本来ならあり得ない筋肉の流れを球という「覆い」のお陰で自然な流れのように人は誤認してくれる。
つまり、これにより実際の動きとは別に認知機能の面でも「動いている」をイメージさせやすくなる。
球を大きく不自然にすればするほど筋肉の流れをカバーする力は大きくなるが、嘘が許容範囲を越えてしまうとかえって不自然さは増す。
球を目立たないようにすれば肉体としての自然さは増すが筋肉の流れのカバー範囲が狭くなり、固い人形となってしまう。
力量がある作家の球体関節は本人の創作意図に沿った「固さ〜動きの自由度」のバランスをとりベストの球体関節をちゃんと作っている。