正しい鑑賞は正しいのか?
私の鑑賞スタイルをブログで発表する事の是非を自ら問うようなエントリーです。
唐突ですが、ゲームシステムやキャラクターデザインによって操作キャラクターの感情移入スタイルがコントロールされている事をご存知でしょうか?
1.ゲーム内にプレイヤーそのものの分身現出させる
2.箱庭の人形を操作するような距離感
3.アニメの登場人物のような意味でのキャラクターそのもの(他者)を操作する
だいたい1から3までのスペクトラムのうちどれかに入るよう設計されています。
過去においては洋ゲーは1寄りが主流であり、本邦では2〜3が好まれやすい傾向があります。
ドラクエは2、ファイナルファンタジーは3寄りにデザインされていて、モンスターハンターは日本には珍しい1と2の間くらいに設計されていますね。
ゲームの体験をも設計するクリエイター側の緻密な計算によるものですが、これらは必ずしもプレイヤーが遵守すべきものではありません。
モンスターハンターなどは結構な数のプレイヤーが3と2の間としてプレイングをされているのが観察されます。
これはクリエイターの創作意図を蹂躙した不敬にあたるのでしょうか?
わたしはむしろ、このようなクリエイターの意図を超えた体験の豊かさを許容する事こそ大衆文化の良さだと思っています。
そういう意味では正しいスタイルを考察する試みはある種の野暮さ、他者の体験の邪魔となりうる。
人形にしてもそうだと感じています。
人形の良さとは見る側、所有者側に豊かで自由な体験をもたらす点にあると思っていますので、本質的には私のブログは野暮であります。
では何故このようなブログがあるのかといえば、私にとって愛する行為は「知りたい、理解したい」という思いと、その中で試行錯誤を行う営為の中でしか表せない特性に由来するわけで、こうする事しかできないのです。
私はアスペルガー症候群の診断を受けていまして、その特性から来るものなのでしょう。
よって、こういう心性は変えられるものでなく、ずっとこのような形で好きである事を表明していくしか無いのです。
このエントリーは独白のようなものなのでツイッターでの告知は無しにしました。