朽ち表現
中川多理の代表的な表現手法の一つである朽ちが作品ごとに違った表現意図があるように思える。
浅学ながら意図を把握できない作品も多々あるのですが、漫然と作家のシンボリックな表現を使用してブランディングするような方では無いので、私の理解が追い付かないだけなのでしょう。
もっとも、分かったつもりのものでも私の勘違いがあったりするのでしょうが。
朽ちかたは様々である。
経年で風化したようなもの、あるいは朽ちの始点のようなものがあり、そこから水分が奪われ枯れ朽ちるように肉が落ち拡散するように広がるようなもの。
全体的なイメージを重視した朽ち表現では、胸部までの瑞々しく内臓の存在まで想起させるような肉体がシームレスに朽ちていき、中空のあるオブジェとしての肉体へと転換してゆくものが印象的。
胸部の内にもある肉体と中空の胸部、本来重ならない二つのイメージであり矛盾した表現であるはずのものが、だまし絵のように存在する。
少し穴が開いたようなものではこのようなイメージはあまり想起できない。
肉や骨の質感、構成物質をどのようなものと仮定して朽ちさせるのか、朽ちる原因を何とするのか、この点を細やかに観察してみるのも面白い。