人形マニアのメモ帳

球体関節人形について思いついた諸々を記すブログ

「小鳥たち」について

山尾悠子の短編、それに影響を受けて制作された中川多理の人形、その人形に影響を受けた続編、その続編を受けて制作される人形と、相互に影響を与えあい1冊の書籍となった「小鳥たち」について。

これも人形語りの一環と考えているので、中川多理が人形作品を制作して後の小説における小鳥の侍女たちの描写について解説しておきたい。

 

「墜落する小鳥たち」では可憐で繊細な存在でありながら、その性質はどのような存在からも侵略されたり奪われることのない不可侵なものとしてある。

空を飛べば猛禽に狙われ、屋内では伊達男に狙われるが、狙う側の望みは永遠に叶えられない。

墜落する小鳥たちというテーマは狙う側の望みの成就を意味しているようでいて、永久の自由落下により儚さと誰からも狙われることの無い不可侵さを併せ持たせたイコンなのだろう。

 

類似の描写は「小鳥の葬送」の冒頭にもある。

若々しくほっそりとした肢体や愛らしい顔立ちが伊達男たちの興味を惹いてやまないが捕まえられない。

「けしからぬ跳ね足」欲情の対象のほっそりした足、しかし同時に男の欲の世界に決して引き込まれない空へ飛び立つ足という多層的な表現。男たちはただ、列柱沿いの長い通路の遥か遠く、ほんの一瞬だけ小鳥の侍女を見るだけである。

一つの挿話、短編の冒頭と繰り返し語られる程に重要な描写である。

 

これは中川多理の人形から着想を得た描写だと思うのだが、いかがだろう。

人形とは存在そのもので完成した表現なのではなく、見る側から湧き上がる様々な感情や物語や自己の内面との語らいによって完成する相互性がある表現形態であり、相互性は他者から不可侵な人形と私だけのものである。

山尾悠子は侍女の人形との関係性の中で心のうちにあった少女観と、不可侵な人形の性質を融合させるに至ったのではないだろうか。

 

侍女の人形から着想を得たのはそれだけではない。67頁で少しも年を取らない侍女たちがほとんど眠らず食べない存在とされているのも人形の性質のようであるし、お仕着せ衣装をつきつぎ新調されていたのを最近は疎かになっているのも中川多理がアンティーク処理を施した衣装を人形に着せていることから産まれた描写だろう。